オールスターゲーム (日本プロ野球) - Wikipedia

オールスターゲーム (日本プロ野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

オールスターゲームとは日本プロ野球の対抗試合である。毎年7月に行われ、監督推薦やプロ野球ファンによる投票などで選抜された選手が出場する。球宴(きゅうえん)とも呼ばれる。

目次

[編集] 概要・歴史

1リーグ時代の1937年から、アメリカメジャーリーグベースボールを手本に「職業野球東西対抗戦」という大会名で、本拠地別に配分した東西オールスターとして行われたのが始まりとされている。1リーグ時代はシーズン終了後に行われていた。

2リーグ制になった1950年は実施されず、1951年からセントラル・リーグパシフィック・リーグの対抗方式で実施されている。シーズン終了後は日本シリーズが行われることから、時期を夏場に移しての開催となっている。

スタート当初は年度により2試合と3試合とでばらつきがあったが、1960年代以降は3試合で定着してきた。しかし、MLBオールスターが年1試合なのに対し、日本の3試合は多いのではないかという選手会からの要望もあり、1989年以降は原則2試合となった。但し基本的に夏季オリンピック開催年については3試合を維持し、1992年以降は第3戦を地方開催することとなった。2001年を最後に3試合制は原則として消滅し、翌年以降は完全2試合制となり、隔年で2試合のうち1試合(原則第2戦)を地方開催することとなった。

開催に際しては12球団持ち回りで開催権が与えられ、基本的にその球団のホームスタジアムで開催となるが、地方開催の場合は日本野球機構(NPB)が直接開催権を持ち、セ・パのどちらをホームとするかはそれまでの開催実績を元に決定される。また、かつてはナイター開催が可能な照明設備を有する収容人員3万人以上の野球場での開催が義務付けられていたため、以前近鉄藤井寺球場日生球場を本拠にしていた頃、藤井寺は当時照明設備がなく、日生は収容人員が2万人強と規定を満たしていなかったため、近鉄が主管球団となった1959年1967年1973年1979年南海の本拠地・大阪球場で振り替えて開催した。また、ロッテ1973年から1977年宮城球場をフランチャイズとしていた時代はロッテの主管試合は開催されなかった。理由は宮城球場のキャパシティが上述の3万人以上収容の規定に満たなかったことや、周辺施設の問題による。なお、2002年大会の第2戦は広島が開催権を持つ順番だったが、ゲームが開催されたのは広島市民球場ではなく松山坊っちゃんスタジアムであり、地方開催のため広島球団ではなくNPBが主管となった。

2008年大会より、練習ではミズノ提供のプラクティスユニフォームを着用する。

近年では「真剣勝負=直球勝負」とする風潮があり、「オールスターでは変化球を投げづらい」、真の真剣勝負が見られないという意見が増えている。

2009年にはプロ野球実行委員会において「交流戦があって、価値が薄れている」とテレビ視聴率が低迷している現状から、オールスターゲームそのものの見直しが検討された。2010年は予定通り開催されることが決まったが、それ以降は開催も未定で、場合によっては2010年限りで廃止となる可能性も出ている(後述)。

[編集] 大会名

1988年より冠大会となっている。

  • サンヨーオールスターゲーム(1988年 - 2006年) - 三洋電機(電機メーカー)
  • ガリバーオールスターゲーム(2007年) - ガリバーインターナショナル(中古車販売)
  • マツダオールスターゲーム(2008年 - ) - マツダ(自動車メーカー)

[編集] 過去の地方開催

地方での開催権は日本野球機構にある。主管相当球団は本拠地開催の場合と同様に運営要員などを派遣しているが、厳密な意味での主管球団ではない。

2008年は地方開催なし。2010年以降の予定は今後の開催スタジアムを参照。

[編集] 開催概要

[編集] 選出方法

ファン投票により、外野手のみ上位3名まで、その他のポジションについては1位の選手が選出される。また、2008年より選手間投票が導入され、ファン投票と同様に各ポジション1位と外野手上位3名が選出される。翌日発表の監督推薦(前年リーグ優勝球団監督が担当)を併せて両チーム28名ずつ(計56名)がメンバーとして登録される。

監督は前年度にリーグ優勝したチームの監督、コーチは前年度に2位・3位であったチームの監督が務める。

[編集] ファン投票

ファン投票は、公式投票はがき、市販の官製・私製はがき、インターネット(パソコン、携帯電話)から投票する。インターネット投票では、同一サーバから1日5回までという投票制限がある。

※公式投票はがきは公式戦の開催会場やコンビニエンスストア三洋電機商品取り扱い店などで配布され、公式戦会場など一部では直接投票できる(切手不要)投票箱が設置されている。2004年まではコンビニエンスストアにも投票箱を設置していたが、2005年は設置を取りやめた。一説には個人情報保護法による影響と言われており、2006年以降は個人情報を記載しなくてもよい公式投票はがきが導入されたことからコンビニエンスストアに投票箱が復活した。

投票開始日から数えて概ね1週間経過してから締切日までほぼ毎日(土・日曜日は除く)途中経過が発表され、締め切り後1週間程度をメドに最終集計が公表される。

1986年までは18名(1975年の指名打者制度投入後は19名)連記、あるいは1名のみの単記・または18名連記のどちらか等投票方式の変化をたどってきたが、1987年以後は単記・連記自由で、連記の場合は19名(セ・9人、パ・10人)までであれば自由となった(下記参照)。その後ルール改正で投手については「先発」「中継ぎ」「抑え」の3人ずつまで投票できるため、連記の場合は23人(セ・11人、パ・12人)まで投票できる。但し、各リーグ・各ポジションにつき1名(外野3名まで)は厳守することとなっている。

公式投票はがきからの投票の場合、マークシート方式であらかじめノミネートされた選手の中から選んで塗りつぶす方式が取り入れられている。

2005年より、ファン投票において得票数トップとなった選手は「最多得票プレーヤー」として表彰される。表彰は出場選手発表後、所属チームのホームゲーム開催球場にて実施され、認定証、盾などが贈呈される。

基本的にファン投票で選出された選手は出場を辞退することが出来ない。辞退した場合は野球協約86条により球宴終了後の後半戦開始から10試合、選手登録が出来なくなる。例外として「顕著な傷病等により出場できなかったものとコミッショナーが認めたときは、出場登録できるまでの期間を短縮することができる」とあり、故障による出場辞退の場合は登録停止期間の短縮もしくは免除を受けることができたが、明確な適用基準がなく悪用の恐れがあるとのことから2006年をもって廃止された。この制度の適用を受けたことがある選手は2003年川崎憲次郎、2006年の福留孝介小久保裕紀の3人である。福留は後半戦開幕から活躍したため制度の悪用との批判があったが、実際はオールスター前に怪我で登録抹消され14試合を欠場しているため感情的批判の域を出ないという反論もあり賛否入り乱れた。このようなトラブルを避けるため、強行出場もしくは1打席のみの代打出場、場合によってはベンチに座っているだけという選手が出てきているのも現状である。

[編集] 歴代のファン投票の方式
  • 1951、52年 18名連記 市販のはがき使用による郵送のみ
  • 1953年 単記(1名のみ) はがき郵送のみ
  • 1954、55年 単記・18名連記のどちらでも可(市販のはがきの郵送の他、新聞刷り込み投票用紙、はがき大の画用紙でも投票と持ち込みも可能)
  • 1956年 はがきの場合は単記・18名連記どちらも可。新聞刷り込み投票用紙は18名連記のみ 何れも郵送のみ受付で小包は使用不可
  • 1957 - 70年 はがき、新聞刷り込み投票用紙とも18名連記のみ 何れも郵送のみで小包使用不可
  • 1971、72年 両リーグとも同じ守備位置・選手を1つ(1名)ずつ選ぶ準単記方式(即ち投手を投票したいのであればセ・パそれぞれの投手の中から1名ずつ選ぶ) はがき・専用投票用紙による郵送のみ
  • 1973 - 75年 両リーグとも投票者が各自守備位置を選び2名ずつ投票する準単記方式 はがき・専用投票用紙による郵送のみ
  • 1976 - 86年 19名連記(守備位置と背番号の数字と球団の英略を併記) はがき・専用投票用紙による郵送のみ
  • 1987年 - 現在 単記・連記どちらも可。連記の場合は19名(その後投手を3つに分類したため現在は23人)までの範囲であれば自由に投票できるようになった はがき・専用投票用紙による郵送、球場などでの直接持ち込み、その後インターネットパソコン携帯電話)からの投票も可能となる
    参考出典 ベースボール・レコード・ブック1988年版(ベースボール・マガジン社)「オールスターゲーム」の項目を参照
[編集] 現在のファン投票の問題点
  • インターネット投票の導入により、安易に大量投票が可能になったため、故障で試合出場のなかった選手が選ばれたり、そのポジションを経験したことのない選手が票を集めるといった不可解な結果が多くみられるようになっている(例:2003年の川崎祭)。好意的解釈をするか否定的に受け止めるかは人それぞれだが、打撃が得意だったトレイ・ムーア投手に一塁手での投票が入っていたり、当時千葉ロッテに所属していたリック・ショートにほとんど守ったことのない遊撃手(ショート)での票が多く入っていたこともある。
  • ノミネートされた選手への投票に比べて、その他の選手への投票は手間がかかるため、ノミネート外選手が選出されることは少ない。そのため、シーズン途中からレギュラーになった選手、ノミネートされていない選手は選ばれにくい。また、シーズン中にポジションの変更が行われた選手も変更前のポジションでの得票が圧倒的に多い。また、ポジションを変換した選手は票が各ポジションに分散されてしまう(近年では松中信彦への票が一塁手、外野手、指名打者に分散されてしまっている)。
  • 先発と中継ぎを兼任している投手、代打代走・守備要員のようなスーパーサブが選出されることはまずない。
  • 先発・中継ぎ投手は1球団あたり5~6人ずついるが、枠はそれぞれ1つずつしかないため監督推薦でなければ出場は難しい。
  • もともとは「ファン投票で人気のある選手を、監督推薦で実力のある選手を選ぶ」という趣旨があったらしいが、そこまで拘られてはいない。が、ファン投票で特定球団ばかりから選出されたのを監督推薦で調整しているように、監督推薦がファン投票の下位的存在になっていることを問題視する向きもある。
  • 応援する球団の選手や有名選手にのみ投票するファンが多いため、人気球団の選手やマスコミへの露出が多い選手ばかりが選出されがちである。1990年代では巨人、2000年代では阪神にその傾向が強い。チームスポーツの性質上ある程度は仕方ないという意見もある。
  • 票が入りやすいという条件さえあれば、故障選手・2軍調整中選手まで選出されてしまう危険性がある(2007年の松本輝など)。
  • 稀に、球団自らがチームへの関心を喚起する事を目的としてファンに投票を呼びかけた場合、結果的に当該球団所属選手への大量の得票に繋がってしまうケースがあり、特にその球団のシーズン成績が不振である場合には非難の対象となりやすい(1978年日本ハム1995年横浜など。特に前者の場合は一部選出選手が出場辞退に追い込まれている)。
  • 仙台で開催された際には楽天、札幌で開催される際には日本ハム、広島で開催される際には広島に大量投票が入っていたりなどと、ご当地組織票が存在する。

これらの問題の改善策として、ノミネート制度の廃止やポジション別での選出の見直しなどが議論されている。

[編集] 守備位置の記号

  • 先発投手 1-1
  • 中継ぎ投手 1-2
  • 抑え投手 1-3
  • 捕手 2
  • 一塁手 3
  • 二塁手 4
  • 三塁手 5
  • 遊撃手 6
  • 外野手 7,8,9
  • 指名打者 DH

[編集] 投票で使う球団略号

[編集] セ・リーグ
[編集] パ・リーグ
[編集] 過去に使われた略号

[編集] 選手間投票

2008年から、現役選手がファン投票とは別に投票を行って出場選手を選出する制度を導入した。概要は以下の通り。

  • 投票は12球団の支配下登録選手全員によって行う。
  • 投票対象選手は各球団が選出したファン投票リストの30名。
  • セ・リーグは9ポジション9名、パ・リーグはDHを含む10ポジション10名へ投票。外野手はポジションを分けず3名。
    • 自球団の選手への投票はできない。
  • セ・パそれぞれのポジションの得票数1位をオールスター出場選手とする。
    • ファン投票と選手間投票の1位が同一選手であった場合、2位選手の繰上げは行わず、その枠は監督推薦選手に組み入れる。

[編集] 出場対象選手

  • 原則として5月末までに支配下登録されている選手を対象とする。
  • 2004年から、1軍の試合実績のない選手への投票を抑制すること、また組織票防止の観点から、打者は10試合以上、若しくは20打席以上出場、投手は5試合以上、若しくは10回以上の登板(出場)実績のない選手は選考の対象から外される事となった(川崎祭を参照)。
  • 外国人選手はファン投票に関しては推薦の上限を設けない(試合出場に際しては同時出場の場合上限あり)。
  • 投票期間中の選手移籍に関しては、同一リーグ内の場合は前所属球団の分と併せて得票数に計算。異なるリーグへの移籍となる場合は、前所属球団の分はそのまま「移籍前」扱いとして残して、移籍先球団の所属するリーグでは改めて0の段階から得票を数えていく。

[編集] 試合方式

  • 2試合とも指名打者制。
  • 9イニングで終了、延長戦は無し。引き分け再試合も無し。
  • 投手は3イニングを超えて登板することはできない。ただし1死または2死後に登板した場合は、以後の完全な3イニングを投球することができる(したがって、記録上は最大3回2/3まで登板が可能である)。
  • 試合の審判は、セ・パ両リーグから3人ずつ選ばれた審判員による。日本シリーズと同じく6人制。公式戦・交流戦とは違い、外審と呼ばれる審判(以前の線審、主に両翼ポール際への打球のファウルかホームランを判定する)が両翼のファウルライン上に立つ。
  • 明確に規定されているわけではないが、開催球場を本拠地とするチームの投手が先発を務めることが慣例になっている(山本昌が自身の公式ページで言及していた)。例としては2003年第1戦(大阪ドーム)の先発投手は、全セが阪神(当時)の井川慶、全パが近鉄(当時)の岩隈久志だった(この年の主管球団は大阪ドームを本拠地にする近鉄だったが、2002年のオールスター開催条項改正で2試合開催の場合のホームゲームはセ・パ各1試合とする取り決めとなったため、セ・リーグのホームゲームとなった)。

[編集] プラクティスユニフォーム

2008年大会より、練習中や試合前イベント時に限りセ・パそれぞれのイメージカラー(セ・リーグ=緑、パ・リーグ=水色)を基調としたプラクティスユニフォーム(ミズノ株式会社提供)を着用(なお、試合中はそれぞれの所属チームのユニフォームでプレーする)。 ちなみにこのユニホームは、出場者の直筆サインを入れてインターネットオークションに出品。チャリティーによる売上金は、日本赤十字社を通してミャンマーサイクロンや中国の四川大地震での被災者への救援に充てられる。

なお、2009年開催分については、開催球場を本拠地とする球団のチームカラーに変更されている。

このユニフォームについては、提供者であるミズノが一般向けとして作製しているレプリカ版を、通販などで販売もしている。当然ながら、販売は期間限定で、ファン投票期間中から開始される。

[編集] 過去の試合方式

[編集] 延長戦の規定
  • 1953年 12回まで
  • 1954年-1955年 日没まで。
  • 1956年-1958年 22時15分以降新しいイニングに入らない。
  • 1959年-1964年 22時30分以降新しいイニングに入らない。
  • 1965年-1967年 22時15分以降新しいイニングに入らない。
  • 1968年-1973年 22時20分以降新しいイニングに入らない。
  • 1974年 21時30分以降新しいイニングに入らない。
  • 1975年-1987年 試合開始3時間を越えて新しいイニングに入らない。
  • 1988年-1991年 試合開始4時間を越えて新しいイニングに入らない。12回打ち切り。
  • 1992年以降 延長なし。9回打ち切り。
[編集] 指名打者
  • 1975年-1982年 採用せず。
  • 1983年 採用するもパ・リーグのみ使用。
  • 1984年-1989年 採用せず。
  • 1990年-1992年 パ・リーグ本拠地球場のみ採用。
  • 1993年以降 全試合採用。

[編集] 各種表彰

  • 最優秀選手賞(各試合につき1名ずつ):賞金200万円
  • 優秀選手賞(各試合につき4名ずつ):賞金100万円
2009年度は優秀選手に代えて次の各賞を贈呈。
  • ベストバッター賞 (最も優れた打撃技術を見せた選手):賞金100万円
  • ベストピッチャー賞 (最も卓越した投球を見せた選手):賞金100万円
  • ベストプレー賞 (守備・走塁など様々なプレーでこれぞプロという技を見せた選手 ):賞金100万円
  • 最多得票プレーヤー(ファン投票において得票数トップとなった選手):認定証、盾など
  • マツダ・ビアンテ賞(2008年)→マツダ・アクセラ賞(2009年)(2試合を通じて、プレーやパフォーマンスなどでファンに夢と感動を与え、最も強い印象を残した選手1名):マツダ・ビアンテ(2008年)→マツダ・アクセラ(2009年)1台[3]

[編集] 過去の各賞

  • SANYO賞→ガリバー賞(各試合で最もファンの共鳴を与えたファインプレーをした選手。SANYO賞のときは随時表彰(賞金10万円)だったが、ガリバー賞は2試合を通して1名にガリバー提供の中古車が贈られる。2007年度の審査員長は萩本欽一茨城ゴールデンゴールズ監督が務める)
  • ホームラン賞(各試合でホームランを打った選手に随時):賞金3万円(テレビの中継では、金額の詳細は略され「賞金が贈られます。」と紹介される)
  • サンヨーオールスター新人賞→ガリバーオールスター新人賞(全試合を通して、この年オールスターに初出場を果たし、活躍した選手を各リーグから1名ずつ):賞金30万円
三洋電機が協賛していた時には各賞受賞者に副賞として三洋家電製品が贈呈された。また、各試合の勝利リーグや試合前のアトラクション出場選手への参加賞、オールスター選出選手全員にも出場記念品として三洋製品が贈られた。

[編集] 過去の放送順(21世紀以降)

[編集] オールスターの地方開催と中継権

[編集] 各局の中継傾向

  • NHK:かつてはテレビ・ラジオ両方とも放送していたが、前述の理由でテレビは1994年、ラジオは2003年をもって全国中継から撤退した。
    • テレビ:NHK総合1954年から1978年までは生中継の放送を実施していたが、それ以降1994年までは「オールスターハイライト」と題した40分程度の録画中継番組を深夜のスポーツニュース内包(一部年度独立番組)として放送していた。実況アナウンサーとNHK解説者のやり取りに重点を置くので中継ゲストは登場させなかった。また、解説者は東京のスタジオにいたので「カラ出張」放送だった。なお、テレビでの1局単独中継は1971年が最後である。ちなみに年間に公式戦80試合以上中継する衛星第1テレビは放送開始当初からMLBオールスターゲーム関連番組を放送するため中継しない。
    • ラジオ:NHKラジオ第11962年までは第2)で放送され、基本的コンセプトはテレビと同じ。1996年のみアトランタオリンピック中継のため中継しなかった。しかし、2004年以降は中継がなかったが、マツダスタジアムで開催される2009年の第2戦は地元のNHK広島放送局中国地方向けに放送する。
  • 日本テレビ系列:かつては巨人中心の中継スタイルが随所に見られた。野球中継の視聴率低下とともに薄れる傾向にあるが、元巨人選手をクローズアップする点は現在も変わらない[4]
  • TBS系列:テレビはJNN、ラジオはJRNで全国ネットをカバーしている。
    • テレビ:1975年腸捻転解消以前は朝日放送制作分もネットしていた。一時期、浴衣姿の女性アナウンサーを大量投入させていたが、近年はTBSのプロ野球中継のテーマソングを歌った歌手をゲストに呼ぶ傾向にある。例としては、2003年第2戦で島谷ひとみが、2006年第2戦でPUFFYが其々ゲスト出演していた。
    • ラジオ:以前はTBS系列局で解説を行なっていた現役コーチをゲストで招いたが、現在は基本的に実況アナと解説者以外は出演していない。
  • フジテレビ系列:1960年代から芸能人を中継ゲストに呼んでいた。1989年の第1戦では人気芸能人を一度に7人出演させた。その後2001年の第1戦でスタジオタレントと現役選手のやり取りが選手会・視聴者の反感を買い、一時、オールスター中継を自粛した。また1970年代から解説者を大量動員してのベンチ裏・観客席リポートが特徴である。
  • テレビ朝日系列:腸捻転時代は毎日放送中継分もネットしていた。また1990年代初頭まではフジ系列同様、自局の番組に出演する芸能人をゲスト出演させていた。現在の特色としては投手出身の解説者にネット裏球種解説が挙げられる。
  • テレビ東京系列:ネット局が少ないためにオールスター中継は1971年の第2戦のみである[5]。その後、1979年から1993年までジュニアオールスターゲーム(現・フレッシュオールスター)を中継していた。ジュニア中継は始球式に登板したアイドルなど若手芸能人がゲスト出演していた。また1980年代は毎年のように宍戸錠が登場していた。
  • 文化放送:基本的に実況アナと解説者とリポートアナが出演する形式だが、1980年代の一時期、平日の試合で解説者を置かず実況アナのみで中継するスタイルが取られた。それ以前、他局に先駆けて1955年から芸能人をゲストに呼んでいる。
  • ニッポン放送:1980年代、ビートたけしが毎年登場していた。現在は極たまに現役監督がゲスト解説に登場する。
  • ラジオ日本:他のラジオ局同様実況アナと解説者のやり取りが多い。1970年代は現場の監督・コーチを招いていた。
  • ラジオNIKKEI:日本短波放送時代の1955年から1962年までの8年間とラジオたんぱ時代の1978年から1985年までの8年間中継していた。1955年に限り、デーゲームの模様を当日夜に録音放送した。

[編集] オールスターゲームの視聴率

オールスターゲームの視聴率1970年代末期から1980年代までは30%台を記録し1990年代までは20%台をキープしていたが、ここ数年は10%台に下がる傾向にあり、2007年度第2戦では関東地区で1桁台を記録してしまった。しかし関東地区では低下傾向であるものの関西地区などでは関東に比べれば高い数字を記録し、西高東低となってきている。

視聴率低下の要因は、視聴者の関心・趣味の多様化、少子化による若年層ファンの減少、人気選手のメジャー移籍、交流戦開催による両リーグ間の対戦の目新しさの低下、放送側の過剰演出による野球ファンの反感など多岐に亘る。

いずれも関東地区平均(ビデオリサーチ調べ)。

世帯別平均が高視聴率の試合
1978年:第1戦(7月22日、TBS系)34.6%
1979年:第1戦(7月21日、TBS系)34.6%、第2戦(7月22日、TBS系)32.9%、第3戦(7月24日、フジテレビ系)33.5%
1981年:第2戦(7月26日、TBS系)32.8%、第3戦(7月28日、フジテレビ系)29.8%
1983年:第1戦(7月23日、フジテレビ系)32.5%、第2戦(7月24日、フジテレビ系)32.5%
1984年:第1戦(7月21日、日本テレビ系)30.9%
1988年:第1戦(7月24日、フジテレビ系)30.5%
1998年以降の世帯別平均視聴率
第1戦 第2戦 第3戦
開催年 開催日 放送局 視聴率 開催日 放送局 視聴率 開催日 放送局 視聴率
1998年 7月22日 TBS系 21.2% 7月23日 TBS系 21.0%
1999年 7月24日 テレ朝系 27.6% 7月25日 テレ朝系 23.6% 7月27日 フジ系 16.7%
2000年 7月22日 日テレ系 22.0% 7月23日 フジ系 22.0% 7月26日 日テレ系 19.8%
2001年 7月21日 フジ系 ※1 15.2% 7月22日 TBS系 16.0% 7月24日 日テレ系 14.5%
2002年 7月12日 テレ朝系 16.3% 7月13日 日テレ系 18.1%
2003年 7月15日 テレ朝系 14.7% 7月16日 TBS系 14.3%
2004年 7月10日 フジ系 14.7% 7月11日 TBS系 15.4%
2005年 7月22日 テレ朝系 11.9% 7月23日 テレ朝系 10.3%※2
2006年 7月21日 フジ系 12.6% 7月23日 TBS系 12.2%
2007年 7月20日 日テレ系 13.5% 7月21日 TBS系 8.2% ※3
2008年 7月31日 フジ系 11.4% 8月1日 TBS系 11.3%
2009年 7月24日 日テレ系 14.8% 7月25日 TBS系 11.7%

※1 「FNS ALLSTARS27時間笑いの夢列島」内で放送。
※2 ナイター試合での最低視聴率
※3 過去最低視聴率(当試合はデーゲーム開催)

[編集] 今後の開催スタジアム

※は地方球場での開催

2009年5月11日にコミッショナー事務局で行われた「プロ野球実行委員会」で、一部球団からオールスターゲームとアジアシリーズの開催方法の見直しを求める意見が上がった。これは「セ・パ交流戦が定着した反面、オールスターゲームの新鮮味が失われつつある」という意見がきっかけである。またアジアシリーズも、2008年開催分は冠スポンサーが付かないなど約2億円の損失を計上しており、委員会では「総合的に見直す時期に来ている」として審議を開始した。同年6月9日に行われた同委員会では結論が出ず継続審議となったが、同年7月6日の同委員会では、オールスターゲームの2010年開催分は現行通り2試合開催することを確認し、2011年以降の開催方法については継続審議とした。また、アジアシリーズに代わって日本と韓国のプロ野球優勝チームによる国際試合を同年秋に開催する方針を確認した。しかし、アジアの野球振興の観点から台湾や中国への支援策を求める意見が出るなど、アジアシリーズそのものの存廃に関する結論は見出せず、継続審議となった。9月7日の実行委員会では、アジアシリーズに関して特に台湾側から自国開催を提案されるなど存続を強く求める意見が寄せられていたことに配慮し、「2010年以降の開催を前向きに検討する」として更に継続審議となった。

オールスターゲームはNPBの基幹収益事業の一つで、毎年多くの観客を集め多額の収益をもたらしているが、その一方で、かつては2億円近く(推定)に及んだ地上波テレビ中継の放映権料が、近年は視聴率低迷もあいまって下落の一途をたどっている。また冠スポンサーも三洋電機の撤退以来、長期契約を希望する企業が未だ現れておらず、こうした要因から既に収益が頭打ちとなっている側面がある。現在、オーナー会議及び実行委員会では今後のオールスターとアジアシリーズの開催方法について継続審議しているが、一部では日韓オールスターや日本代表の定期戦実施などを求める声もあり、今後の審議次第では、近い将来にプロ野球の運営体制そのものが劇的な変化を遂げる可能性もある。

なお、2010年の開催を予定している新潟に関しては紆余曲折を経ている。新潟は2004年4月の段階で2008年のオールスター開催が内定していたものの、新潟県内では同年、平成16年7月新潟・福島豪雨(7・13水害)や新潟県中越地震などの自然災害が相次いだ。県は災害復旧を最優先させるため、2008年竣工予定だった県立野球場の建設事業を凍結し、2005年7月に開催返上を決定。同月末に日本野球機構に開催辞退の申請を提出し、8月1日に行われた実行委員会で正式に承認された。オールスターゲームの地方開催を辞退するのは史上初のケースだった(2008年に地方開催が無かったのは、新潟の開催辞退が影響したものである)。その後2006年に球場建設の目途が付いたことから再び開催地に立候補し、2010年の開催が内定。前述の2009年6月の実行委員会で正式に開催が決定した。

[編集] 主なオールスター記録

太字名は現役選手、所属球団名は記録達成時のもの

[編集] 出場に関する記録

[編集] 年齢に関する記録

記録 年齢 選手 所属球団 達成年月日 達成試合・球場
最年少ファン投票選出 17歳 尾崎行雄 東映フライヤーズ 1962年
最年長ファン投票選出 43歳 門田博光 福岡ダイエーホークス 1991年
最年少登板投手 17歳10ヶ月 尾崎行雄 東映フライヤーズ 1962年7月24日 第1戦・平和台球場
最年長登板投手 42歳2ヶ月 工藤公康 読売ジャイアンツ 2005年7月23日 第2戦・阪神甲子園球場
最年少勝利投手 17歳10ヶ月 尾崎行雄 東映フライヤーズ 1962年7月26日 第2戦・広島市民球場
最年長勝利投手 37歳8ヶ月 村田兆治 ロッテ・オリオンズ 1989年7月25日 第1戦・神宮球場
最年少敗戦投手 18歳8ヶ月 田中将大 東北楽天イーグルス 2007年7月21日 第2戦・フルキャストスタジアム宮城
最年長本塁打 43歳5ヶ月 門田博光 福岡ダイエーホークス 1991年7月24日 第2戦・広島市民球場
最年少MVP 18歳11ヶ月 清原和博 西武ライオンズ 1986年7月20日 第2戦・大阪球場

[編集] 最多通算記録

記録 選手 達成までの所属球団
通算試合出場 58 王貞治 巨人
通算MVP 7 清原和博 西武 - 巨人
通算安打 48 野村克也 南海、西武
通算二塁打 15 野村克也 南海、西武
通算三塁打 4 柴田勲 巨人
通算打点 34 清原和博 西武 - 巨人
通算得点 26 福本豊 阪急
清原和博 西武 - 巨人
通算本塁打 14 山本浩二 広島
通算盗塁 17 福本豊 阪急
通算四死球 33 王貞治 巨人
通算三振 38 清原和博 西武 - 巨人 - オリックス
通算登板 28 金田正一 国鉄 - 巨人
通算登板イニング 64回2/3 金田正一 国鉄 - 巨人
通算勝利投手 7 山田久志 阪急
通算敗戦投手 4 金田正一 国鉄
通算セーブ 6 江夏豊 広島 - 日本ハム
通算奪三振 84 金田正一 国鉄 - 巨人

[編集] 最多連続記録

記録 選手 所属球団 達成年月日・達成試合・球場
連続フル出場試合 17 イチロー オリックス・ブルーウェーブ 1994年7月19日・第1戦・西武球場
 -2000年7月26日・第3戦・長崎県営野球場
連続打数安打 6 ロベルト・ペタジーニ ヤクルトスワローズ 2001年7月22日・第2戦・横浜スタジアム第1打席
 -7月24日・第3戦・札幌ドーム第1打席
連続試合安打 11 イチロー オリックス・ブルーウェーブ 1996年7月23日・第3戦・富山アルペンスタジアム
 -2000年7月26日・第3戦・長崎県営野球場
連続打席本塁打 3 掛布雅之 阪神タイガース 1978年7月25日・第3戦・後楽園球場
連続試合本塁打 3 清原和博 西武ライオンズ 1992年7月21日・第3戦・県営宮城球場
 -1993年7月21日・第2戦・グリーンスタジアム神戸
松井秀喜 読売ジャイアンツ 2001年7月21日・第1戦・福岡ドーム
 -7月24日・第3戦・札幌ドーム
中村紀洋 近鉄バファローズ 2001年7月21日・第1戦・福岡ドーム
 -7月24日・第3戦・札幌ドーム
連続三振 4 江藤智 広島東洋カープ 1993年7月21日・第2戦・グリーンスタジアム神戸 3
 -1995年7月25日・第1戦・横浜スタジアム 1
連続奪三振 15 江夏豊 阪神タイガース 1970年7月19日・第2戦・大阪球場 5
 -1971年7月17日・第1戦・阪急西宮球場 9
 -1971年7月20日・第3戦・後楽園球場 1

[編集] 1試合チーム記録

記録 チーム 達成年月日 達成試合・球場 補足
チーム最多安打 23 セ・リーグ 2001年7月22日 第2戦・横浜スタジアム
最多安打 33   1987年7月28日 第3戦・阪神甲子園球場 セ・リーグ 16本、パ・リーグ 17本
チーム最多打点 12 パ・リーグ 1970年7月18日 第1戦・神宮球場
1984年7月21日 第1戦・後楽園球場
チーム最多得点 14 パ・リーグ 1984年7月21日 第1戦・後楽園球場
チーム最多本塁打 5 パ・リーグ 1987年7月28日 第3戦・阪神甲子園球場 清原和博西武)1本
村上隆行近鉄)2本
リチャード・デービス(近鉄)1本
石嶺和彦阪急)1本
1990年7月25日 第2戦・平和台球場 清原和博(西武)2本
石嶺和彦(阪急)1本
大石大二郎(近鉄)1本
鈴木貴久(近鉄)1本
最多本塁打 8   1979年7月24日 第3戦・神宮球場 王貞治巨人)2本
山本浩二(広島)2本
白仁天ロッテ)1本
レオン・リー(ロッテ)1本
有藤道世(ロッテ)1本
柏原純一日本ハム)1本
1987年7月28日 第3戦・阪神甲子園球場 清原和博(西武)1本
村上隆行(近鉄)2本
リチャード・デービス(近鉄)1本
石嶺和彦(阪急)1本
小早川毅彦(広島)1本
ランディ・バース阪神)1本
衣笠祥雄(広島)1本
チーム最多三振 16 パ・リーグ 1971年7月17日 第1戦・阪急西宮球場
チーム最少三振 0 セ・リーグ 2008年8月1日 第2戦・横浜スタジアム
最少三振 3   2008年8月1日 第2戦・横浜スタジアム セ・リーグ 0、パ・リーグ 3
継投による無安打無得点 セ・リーグ 1971年7月17日 第1戦・阪急西宮球場 江夏豊(阪神)
渡辺秀武(巨人)
高橋一三(巨人)
水谷寿伸中日
小谷正勝大洋
最多継投人数 9 セ・リーグ 2007年7月20日 第1戦・東京ドーム 上原浩治(巨人)
高津臣吾(ヤクルト)
林昌範(巨人)
木塚敦志(横浜)
岩瀬仁紀(中日)
黒田博樹(広島)
久保田智之(阪神)
マーク・クルーン(横浜)
藤川球児(阪神)

[編集] 1試合個人記録

記録 選手 所属球団 達成年月日 達成試合・球場 補足
最多安打 5 ロベルト・ペタジーニ ヤクルトスワローズ 2001年7月22日 第2戦・横浜スタジアム ※1
最多打点 6 土井正博 近鉄バファローズ 1967年7月25日 第1戦・神宮球場
エイドリアン・ギャレット 広島東洋カープ 1978年7月22日 第1戦・広島市民球場
ロバート・ローズ 横浜ベイスターズ 1999年7月25日 第2戦・阪神甲子園球場
最多本塁打 3 エイドリアン・ギャレット 広島東洋カープ 1978年7月22日 第1戦・広島市民球場
掛布雅之 阪神タイガース 1978年7月25日 第3戦・後楽園球場
最多盗塁 4 松井稼頭央 西武ライオンズ 1997年7月23日 第1戦・大阪ドーム
最多盗塁補殺 3 古田敦也 ヤクルトスワローズ 1991年7月23日 第1戦・東京ドーム
最長登板イニング 5 斉藤明夫 大洋ホエールズ 1982年7月25日 第2戦・西武ライオンズ球場 ※2
最多奪三振 9 江夏豊 阪神タイガース 1971年7月17日 第1戦・阪急西宮球場
連続奪三振 9 江夏豊 阪神タイガース 1971年7月17日 第1戦・阪急西宮球場 ※3
最多三振 3 土井正博 近鉄バファローズ 1971年7月17日 第1戦・阪急西宮球場
江藤智 広島東洋カープ 1993年7月21日 第2戦・グリーンスタジアム神戸
最多失点 8 成瀬善久 千葉ロッテマリーンズ 2008年8月1日 第2戦・横浜スタジアム
最多自責点 7 黒木知宏 千葉ロッテマリーンズ 1999年7月25日 第2戦・阪神甲子園球場
成瀬善久 千葉ロッテマリーンズ 2008年8月1日 第2戦・横浜スタジアム
最多被安打 11 成瀬善久 千葉ロッテマリーンズ 2008年8月1日 第2戦・横浜スタジアム

※1 第1打席から2安打、四球を挟んで第4-6打席までの計5安打。
※2 通常1投手3イニングまでの登板とされているが、延長戦に入った場合はその規定の対象外となっていたため。
※3 江夏は1970年のオールスター登板を5連続奪三振で終えており、当該試合を経て第3戦の6回に登板。1三振(江藤慎一)を奪ったのち、野村克也にセカンドゴロで阻止されるまで、3試合合計で15連続奪三振を達成したことになる。

[編集] その他

記録 選手 所属球団 達成年月日 達成試合・球場 補足
最短試合 1時間46分     1953年7月6日 第2戦・阪神甲子園球場 セ2-0パ
最長試合 3時間15分
(9イニング)
    1970年7月18日 第1戦・神宮球場 セ9-13パ
最長試合 4時間30分
(延長21回)
    1952年7月3日 第1戦・阪急西宮球場 セ2-2パ
コールドゲーム     2007年7月21日 第2戦・フルキャストスタジアム宮城 ※1
満塁ホームラン 榎本喜八 大毎オリオンズ 1963年7月23日 第2戦・東京スタジアム ※2
大杉勝男 東映フライヤーズ 1967年7月27日 第3戦・大阪球場 ※3
ランニングホームラン 半田春夫 南海ホークス 1960年7月26日 第2戦・後楽園球場
遠井吾郎 阪神タイガース 1970年7月21日 第3戦・広島市民球場
藤原満 南海ホークス 1978年7月25日 第3戦・後楽園球場
大友進 西武ライオンズ 1999年7月24日 第1戦・西武ドーム
代打逆転サヨナラホームラン 高井保弘 阪急ブレーブス 1974年7月21日 第1戦・後楽園球場 ※4
投手によるホームラン 巽一 国鉄スワローズ 1960年7月27日 第3戦・後楽園球場
江夏豊 阪神タイガース 1971年7月17日 第1戦・阪急西宮球場
投手による
サヨナラ打(犠飛)
水野雄仁 読売ジャイアンツ 1988年7月26日 第3戦・東京ドーム ※5
サイクル安打 古田敦也 ヤクルトスワローズ 1992年7月19日 第2戦・千葉マリンスタジアム
単独ホームスチール SHINJO 北海道日本ハムファイターズ 2004年7月11日 第2戦・長野オリンピックスタジアム
最速球速 161km/h マーク・クルーン 読売ジャイアンツ 2008年8月1日 第2戦・横浜スタジアム ※6

※1 8回表降雨コールド パ5-11セ
※2 1回裏2死満塁 投手・稲川誠大洋
※3 4回裏2死満塁 投手・江夏豊(阪神)
※4 9回裏1死一塁 投手・松岡弘(ヤクルト)
※5 3-3で迎えた延長12回裏無死一・三塁、打順は投手の中山裕章(大洋)。野手は全て出場していたため、セ・リーグの王監督が投手の中でも打撃の良い水野を代打起用し、センターにサヨナラ犠牲フライを打った。同様の理由で、1980年7月22日第3戦(後楽園球場)、2-1で迎えた9回表パ・リーグの攻撃2死満塁の場面で、松沼博久(西武)の代打にパ・リーグの西本幸雄監督(近鉄)が山内新一(南海)を送ったことがあったが、セ・リーグの抑えの江夏豊(広島)に三振に打ち取られた。[6]
※6 2球記録したが、うち1球はオリックスの日高剛にホームランを打たれた。

[編集] これまでの試合結果

(通算 パ75勝 セ69勝 8分)

開催日 勝利チーム スコア 敗戦チーム 開催球場 MVP
1 1951年7月4日
     7月7日
     7月8日
セ・リーグ
セ・リーグ
パ・リーグ
2-1
4-2
4-3
パ・リーグ
パ・リーグ
セ・リーグ
阪神甲子園球場
後楽園球場
後楽園球場
川上哲治
野口明
林義一
2 1952年7月3日
     7月5日
(引き分け)
パ・リーグ
2-2
8-1
(引き分け)
セ・リーグ
阪急西宮球場
後楽園球場
---
飯島滋弥
3 1953年7月1日
     7月6日
     7月8日
パ・リーグ
セ・リーグ
パ・リーグ
2-0
2-0
3-0
セ・リーグ
パ・リーグ
セ・リーグ
後楽園球場
阪神甲子園球場
中日スタヂアム
飯田徳治
平井三郎
堀井数男
4 1954年7月3日
     7月4日
パ・リーグ
パ・リーグ
5-2
2-1
セ・リーグ
セ・リーグ
阪急西宮球場
後楽園球場
中西太
山内一弘
5 1955年7月2日
     7月3日
パ・リーグ
セ・リーグ
2-0
9-4
セ・リーグ
パ・リーグ
大阪球場
阪神甲子園球場
山内一弘
西沢道夫
6 1956年7月3日
     7月4日
パ・リーグ
セ・リーグ
8-0
2-0
セ・リーグ
パ・リーグ
後楽園球場
後楽園球場
森下正夫
吉田義男
7 1957年7月11日
7月13日
パ・リーグ
セ・リーグ
5-2
5-4
セ・リーグ
パ・リーグ
中日スタヂアム
中日スタヂアム
大下弘
宮本敏雄
8 1958年7月27日
7月29日
セ・リーグ
パ・リーグ
5-2
8-3
パ・リーグ
セ・リーグ
平和台球場
広島市民球場
宮本敏雄
中西太
9 1959年7月28日
7月29日
パ・リーグ
セ・リーグ
9-0
6-4
セ・リーグ
パ・リーグ
阪急西宮球場
大阪球場
山内一弘
中利夫
10 1960年7月25日
7月26日
7月27日
パ・リーグ
セ・リーグ
パ・リーグ
3-1
5-4
6-5
セ・リーグ
パ・リーグ
セ・リーグ
川崎球場
後楽園球場
後楽園球場
森下整鎮
金田正一
張本勲
11 1961年7月18日
7月19日
パ・リーグ
パ・リーグ
3-0
4-2
セ・リーグ
セ・リーグ
中日スタヂアム
阪神甲子園球場
広瀬叔功
田宮謙次郎
12 1962年7月24日
7月26日
パ・リーグ
パ・リーグ
7-0
5-4
セ・リーグ
セ・リーグ
平和台球場
広島市民球場
ジャック・ブルーム
張本勲
13 1963年7月22日
7月23日
7月24日
セ・リーグ
セ・リーグ
セ・リーグ
6-4
11-9
8-5
パ・リーグ
パ・リーグ
パ・リーグ
後楽園球場
東京スタジアム
明治神宮野球場
近藤和彦
王貞治
古葉毅
14 1964年7月20日
7月21日
7月22日
セ・リーグ
セ・リーグ
パ・リーグ
1-0
5-1
10-2
パ・リーグ
パ・リーグ
セ・リーグ
川崎球場
中日スタヂアム
大阪球場
金田正一
ジェームス・マーシャル
ジョー・スタンカ
15 1965年7月19日
7月20日
7月21日
パ・リーグ
パ・リーグ
(引き分け)
5-2
6-3
1-1
セ・リーグ
セ・リーグ
(引き分け)
後楽園球場
阪急西宮球場
平和台球場
ダリル・スペンサー
高倉照幸
江藤愼一
16 1966年7月19日
7月20日
7月21日
パ・リーグ
パ・リーグ
セ・リーグ
6-2
6-3
5-1
セ・リーグ
セ・リーグ
パ・リーグ
東京スタジアム
阪神甲子園球場
広島市民球場
広瀬叔功
榎本喜八
古葉竹識
17 1967年7月25日
7月26日
7月27日
パ・リーグ
パ・リーグ
パ・リーグ
9-4
7-3
9-6
セ・リーグ
セ・リーグ
セ・リーグ
明治神宮野球場
中日スタヂアム
大阪球場
土井正博
長池徳士
大杉勝男
18 1968年7月23日
7月24日
7月25日
セ・リーグ
セ・リーグ
パ・リーグ
2-1
8-3
5-4
パ・リーグ
パ・リーグ
セ・リーグ
川崎球場
後楽園球場
阪急西宮球場
江藤愼一
柴田勲
小池兼司
19 1969年7月19日
7月20日
7月22日
パ・リーグ
パ・リーグ
(引き分け)
7-6
6-3
4-4
セ・リーグ
セ・リーグ
(引き分け)
東京スタジアム
阪神甲子園球場
平和台球場
土井正博
船田和英
---
20 1970年7月18日
7月19日
7月21日
パ・リーグ
セ・リーグ
セ・リーグ
13-9
4-1
8-6
セ・リーグ
セ・リーグ
パ・リーグ
明治神宮野球場
大阪球場
広島市民球場
長池徳士
江夏豊
遠井吾郎
21 1971年7月17日
7月19日
7月20日
セ・リーグ
パ・リーグ
パ・リーグ
5-0
4-0
3-2
パ・リーグ
セ・リーグ
セ・リーグ
阪急西宮球場
中日スタヂアム
後楽園球場
江夏豊
長池徳士
加藤秀司
22 1972年7月22日
7月23日
7月25日
パ・リーグ
パ・リーグ
セ・リーグ
5-2
4-0
1-0
セ・リーグ
セ・リーグ
パ・リーグ
東京スタジアム
川崎球場
阪神甲子園球場
野村克也
阪本敏三
池田純一
23 1973年7月21日
7月22日
7月24日
セ・リーグ
パ・リーグ
パ・リーグ
9-3
1-0
2-1
パ・リーグ
セ・リーグ
セ・リーグ
明治神宮野球場
大阪球場
平和台球場
若松勉
福本豊
山崎裕之
24 1974年7月21日
7月22日
7月23日
パ・リーグ
パ・リーグ
パ・リーグ
3-2
6-3
1-0
セ・リーグ
セ・リーグ
セ・リーグ
後楽園球場
阪急西宮球場
広島市民球場
高井保弘
福本豊
張本勲
25 1975年7月19日
7月20日
7月22日
セ・リーグ
セ・リーグ
パ・リーグ
8-0
4-3
3-0
パ・リーグ
パ・リーグ
セ・リーグ
阪神甲子園球場
中日スタヂアム
明治神宮野球場
山本浩二
松原誠
土井正博
26 1976年7月17日
7月18日
7月20日
パ・リーグ
パ・リーグ
セ・リーグ
3-1
11-1
5-1
セ・リーグ
セ・リーグ
パ・リーグ
川崎球場
後楽園球場
大阪球場
有藤道世
門田博光
吉田孝司
27 1977年7月23日
7月24日
7月26日
セ・リーグ
パ・リーグ
セ・リーグ
2-1
4-0
4-3
パ・リーグ
セ・リーグ
パ・リーグ
平和台球場
阪急西宮球場
明治神宮野球場
若松勉
野村克也
王貞治
28 1978年7月22日
7月23日
7月25日
セ・リーグ
パ・リーグ
セ・リーグ
7-5
9-0
8-5
パ・リーグ
セ・リーグ
パ・リーグ
広島市民球場
阪神甲子園球場
後楽園球場
エイドリアン・ギャレット
簑田浩二
掛布雅之
29 1979年7月21日
7月22日
7月24日
セ・リーグ
パ・リーグ
セ・リーグ
11-2
3-1
7-5
パ・リーグ
セ・リーグ
パ・リーグ
大阪球場
ナゴヤ球場
明治神宮野球場
王貞治
ボビー・マルカーノ
山本浩二
30 1980年7月19日
7月20日
7月22日
セ・リーグ
パ・リーグ
セ・リーグ
7-6
3-1
2-1
パ・リーグ
セ・リーグ
パ・リーグ
阪急西宮球場
川崎球場
後楽園球場
岡田彰布
平野光泰
江夏豊
31 1981年7月25日
7月26日
7月28日
パ・リーグ
セ・リーグ
セ・リーグ
5-3
6-3
6-0
セ・リーグ
パ・リーグ
パ・リーグ
阪神甲子園球場
横浜スタジアム
明治神宮野球場
藤原満
掛布雅之
山倉和博
32 1982年7月24日
7月25日
7月27日
パ・リーグ
(引き分け)
セ・リーグ
7-2
5-5
3-2
セ・リーグ
(引き分け)
パ・リーグ
後楽園球場
西武球場
大阪球場
福本豊
柏原純一
掛布雅之
33 1983年7月23日
7月24日
7月26日
パ・リーグ
パ・リーグ
パ・リーグ
5-3
4-3
4-1
セ・リーグ
セ・リーグ
セ・リーグ
明治神宮野球場
阪急西宮球場
広島市民球場
門田博光
梨田昌孝
落合博満
34 1984年7月21日
7月22日
7月24日
パ・リーグ
パ・リーグ
セ・リーグ
14-5
6-5
4-1
セ・リーグ
セ・リーグ
パ・リーグ
後楽園球場
阪神甲子園球場
ナゴヤ球場
簑田浩二
ブーマー・ウェルズ
江川卓
35 1985年7月20日
7月21日
7月23日
セ・リーグ
セ・リーグ
パ・リーグ
2-0
6-5
10-2
パ・リーグ
パ・リーグ
セ・リーグ
明治神宮野球場
川崎球場
藤井寺球場
高木豊
ウォーレン・クロマティ
松永浩美
36 1986年7月19日
7月20日
7月22日
パ・リーグ
パ・リーグ
セ・リーグ
6-4
4-3
5-3
セ・リーグ
セ・リーグ
パ・リーグ
後楽園球場
大阪球場
広島市民球場
山本和範
清原和博
吉村禎章
37 1987年7月25日
7月26日
7月28日
パ・リーグ
パ・リーグ
パ・リーグ
7-4
8-3
9-7
セ・リーグ
セ・リーグ
セ・リーグ
西武球場
横浜スタジアム
阪神甲子園球場
高沢秀昭
石毛宏典
清原和博
38 1988年7月24日
7月25日
7月26日
パ・リーグ
セ・リーグ
セ・リーグ
3-1
4-1
4-3
セ・リーグ
パ・リーグ
パ・リーグ
阪急西宮球場
ナゴヤ球場
東京ドーム
ブーマー・ウェルズ
岡田彰布
正田耕三
39 1989年7月25日
7月26日
パ・リーグ
セ・リーグ
6-0
4-1
セ・リーグ
パ・リーグ
明治神宮野球場
藤井寺球場
村田兆治
彦野利勝
40 1990年7月24日
7月25日
パ・リーグ
パ・リーグ
7-0
12-7
セ・リーグ
セ・リーグ
横浜スタジアム
平和台球場
ラルフ・ブライアント
清原和博
41 1991年7月23日
7月24日
セ・リーグ
(引き分け)
1-0
3-3
パ・リーグ
(引き分け)
東京ドーム
広島市民球場
古田敦也
広沢克己
42 1992年7月18日
7月19日
7月21日
パ・リーグ
セ・リーグ
セ・リーグ
6-1
6-4
4-2
セ・リーグ
パ・リーグ
パ・リーグ
阪神甲子園球場
千葉マリンスタジアム
県営宮城球場
石井浩郎
古田敦也
駒田徳広
43 1993年7月20日
7月21日
パ・リーグ
セ・リーグ
10-8
10-8
セ・リーグ
パ・リーグ
東京ドーム
グリーンスタジアム神戸
清原和博
トーマス・オマリー
44 1994年7月19日
7月20日
パ・リーグ
セ・リーグ
8-1
7-3
セ・リーグ
パ・リーグ
西武球場
ナゴヤ球場
秋山幸二
グレン・ブラッグス
45 1995年7月25日
7月26日
(引き分け)
セ・リーグ
4-4
7-6
(引き分け)
パ・リーグ
横浜スタジアム
広島市民球場
落合博満
松井秀喜
46 1996年7月20日
7月21日
7月23日
パ・リーグ
パ・リーグ
セ・リーグ
7-4
7-3
4-2
セ・リーグ
セ・リーグ
パ・リーグ
福岡ドーム
東京ドーム
富山市民球場
山本和範
清原和博
金本知憲
47 1997年7月23日
7月24日
パ・リーグ
セ・リーグ
5-0
6-3
セ・リーグ
パ・リーグ
大阪ドーム
明治神宮野球場
松井稼頭央
清原和博
48 1998年7月22日
7月23日
セ・リーグ
(引き分け)
4-1
3-3
パ・リーグ
(引き分け)
ナゴヤドーム
千葉マリンスタジアム
川上憲伸
松井秀喜
49 1999年7月24日
7月25日
7月27日
セ・リーグ
セ・リーグ
セ・リーグ
8-4
9-5
2-1
パ・リーグ
パ・リーグ
パ・リーグ
西武ドーム
阪神甲子園球場
マスカットスタジアム
松井秀喜
ロバート・ローズ
新庄剛志
50 2000年7月22日
7月23日
7月26日
セ・リーグ
セ・リーグ
セ・リーグ
5-4
12-4
9-3
パ・リーグ
パ・リーグ
パ・リーグ
東京ドーム
グリーンスタジアム神戸
長崎ビッグNスタジアム
ロベルト・ペタジーニ
山崎武司
清原和博
51 2001年7月21日
7月22日
7月24日
パ・リーグ
セ・リーグ
パ・リーグ
7-1
12-6
8-4
セ・リーグ
パ・リーグ
セ・リーグ
福岡ドーム
横浜スタジアム
札幌ドーム
松井稼頭央
ロベルト・ペタジーニ
中村紀洋
52 2002年7月12日
7月13日
セ・リーグ
パ・リーグ
4-1
4-2
パ・リーグ
セ・リーグ
東京ドーム
松山坊っちゃんスタジアム
ジョージ・アリアス
的山哲也
53 2003年7月15日
7月16日
(引き分け)
セ・リーグ
4-4
5-3
(引き分け)
パ・リーグ
大阪ドーム
千葉マリンスタジアム
高橋由伸
金本知憲
54 2004年7月10日
7月11日
パ・リーグ
パ・リーグ
6-3
2-1
セ・リーグ
セ・リーグ
ナゴヤドーム
長野オリンピックスタジアム
松坂大輔
SHINJO
55 2005年7月22日
7月23日
セ・リーグ
セ・リーグ
6-5
5-3
パ・リーグ
パ・リーグ
インボイスSEIBUドーム
阪神甲子園球場
金城龍彦
前田智徳
56 2006年7月21日
7月23日
セ・リーグ
セ・リーグ
3-1
7-4
パ・リーグ
パ・リーグ
明治神宮野球場
サンマリンスタジアム宮崎
青木宣親
藤本敦士
57 2007年7月20日
7月21日
セ・リーグ
セ・リーグ
4-0
11-5
パ・リーグ
パ・リーグ
東京ドーム
フルキャストスタジアム宮城
アレックス・ラミレス
阿部慎之助 
58 2008年7月31日
8月1日
パ・リーグ
セ・リーグ
5-4
11-6
セ・リーグ
パ・リーグ
京セラドーム大阪
横浜スタジアム
山崎武司
荒木雅博
59 2009年7月24日
7月25日
セ・リーグ
パ・リーグ
10-8
7-4
パ・リーグ
セ・リーグ
札幌ドーム
マツダスタジアム
青木宣親
松中信彦

[編集] 各リーグの連勝記録

ここでは引き分けは挟まない(引き分けでも連勝ストップ)ものとして考える。

  • セ・リーグ 6連勝(1999年第1戦~2000年第3戦まで、2005年第1戦~2007年第2戦までの2回記録。)
  • パ・リーグ 5連勝(1960年第3戦~1962年第2戦まで、1973年第2戦~1974年第3戦まで、1983年第1戦~1984年第2戦までの3回記録。)
  • 引き分けを挟んだ場合にはセ・リーグが1998年第1戦~2000年第3戦まで1998年第3戦の引き分けを挟んで8連勝している。

[編集] 注釈

[ヘルプ]
  1. ^ 2005年より東北楽天ゴールデンイーグルス専用球場となった。2007年に2度目のオールスター戦を開催。
  2. ^ 2004年より北海道日本ハムファイターズの専用球場となった。2009年に2度目のオールスター戦を開催。
  3. ^ なお、過去に冠協賛がなかった時代には自動車が各試合のMVP副賞として贈呈されたことがある。
  4. ^ 1974年第3戦は広島テレビ放送広島ホームテレビの並列放送だったが、この時は広テレ(日テレとフジ系のクロスネット)がフジ系列の中継を行い、UHTはテレビ朝日系ながら広テレの編成都合で放送できなかった日テレ系の番組配信を行っていたので、日テレ系の中継を行った(解説者も日テレから派遣)。また1966年第3試合と1970年第3試合は、広テレ制作のフジ系全国放送の分と、広テレが裏送りする形(技術協力)を結んだ日テレ系全国放送の分の2ラインをとって放送した(当時UHT、TSSは未開局)。
  5. ^ 本来1971年の第2試合は中部日本放送発のTBS系列全国放送をすることになっていたが雨天中止となり、その予備日の放送がCBC系列では編成の都合で実施できなかった。その関係で当初は放送予定がなかった系列局がない独立局の時代の東京12chが中継権を得た。この時は東京12chの番販ネットを行った三重テレビ放送岐阜テレビが共同技術協力して放送した
  6. ^ 無死満塁で登板した江夏は、レロン・リー有藤通世(共にロッテ)、山内を3者連続三振に討ち取り、先制打を打った真弓明信とホームランを打った掛布雅之(共に阪神)を抑えてMVPを獲得した。これは“9連続三振の再現”“前年の日本シリーズ(江夏の21球)の再現”と話題になった。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

bernardyn Matt Cutts kredyty gotówkowe Motocykle serwis Kielce Quiero